嘘と血の関係



彼は彼を殺したの。
彼の嘘を殺したの。
そして彼は答えたの。
彼にとっての真実を。
彼が彼を殺したの。
彼の嘘を殺したの。


毎月、第三月曜日に、Mは俺の部屋にやってくる。
Mがやってくるのは、きっかり夜の七時。
一応大学を出て見たものの、まともな職にも就かず、
バイトで暮らしている俺の所にMが来る様になったのは、もう一年程前の事だった。
Mと初めて出会った時の事を、俺は何故だか覚えていなかった。
まだこの東京に出てくる前だったか、それともほんの数年前。か
何一つ覚えていなかったが、何故か俺は、このMの事を知っていたし、Mもまた、俺の事を知っていた。
Mには、ちょっと……いや、酷く変わった癖があった。
癖と言うよりは、体質、と言った方がきっと正しいのだろうが、俺はそれをMの癖と呼んでいるし、思ってもいる。
Mは馬鹿がつくぐらい正直な男で、嘘をつくのがどうしようもなく下手だ。嘘で今まで生き抜いてきた俺とは、正反対の奴である。
だから、Mの嘘は直ぐに見破られる。
けれど、Mの嘘が見破られる訳には、もう一つの理由があったのだ。
Mが嘘を吐くと、何故だか分からないが、Mの口から血の臭いがするのである。
本当の血の臭いがどんなものかなんて事は俺にも分からないが、その臭いを表現するには、「血の臭い」とするのは一番的確だ。
生臭い訳でも、気になる臭いでもないが、はっきりと分かる臭い。
だから、Mの嘘を俺は直ぐに見破られる。
けれどMが嘘を吐く時と言ったら、例えば本当は飲めない酒を
大丈夫だと言って飲もうとする時ぐらいのものだから、俺は大して気にしていなかったのだ。
……ただ。そう、ただ。
もし俺が、こいつみたいになっていたなら、俺の人生はどうなっていただろうか、と。
そんな事だけは、いつも考えていたが。


……そう、そしてMは、今日もきっかり七時に俺の部屋にやって来た。
玄関に入ってきた途端、俺はいつもは違う何かに気づき、顔を顰める。
Mから、血の臭いが漂っていた。いつもより、はっきりと。
だが、Mが口にした事と言えば、「やあ」と言う簡単な挨拶だけで、何故それだけでこんなにも血の臭いがするのか理解できない。
「上がってもいいかい?」
微笑みながら尋ねるMに、断る理由などなく、俺はMを部屋の中へと通す。
コーヒーをカップに注ぎ、Mの前に置いてやるとすまなそうに笑って、「ありがとう」と言った。
「ごめんな、驚いただろう?」
それが何に対しての科白だか計りかねたが、直ぐに多分血の臭いの事を言っているのだろうと理解する。
「………いや」
笑みを絶やすことのないMに、思わず狼狽えてしまう俺を、Mはじっと見つめたまま、いやに色素の薄い唇を開いた。
「人をね、殺してきたんだ」
そう言いながら、Mはそれまでしていた手袋を取って俺に見せる。
Mの手は血でべっとりと濡れていた。驚愕の表情を浮かべる俺から視線を逸らす事無く、Mは再び手袋をはく。
「……何…だって?」
冗談だろ? そう言いたいのに、何故だか言葉が続かない。
Mから漂う血の臭いが、どんどん強くなっている様な気がして、くらりと、意識が飛びかけた。
鼻孔から入ったその臭いは、脳を駆けめぐり、血液中に入り、躰全体に行き渡る。
目眩がしそうな程の臭いに、俺は耐えきれず、強く瞼を閉じた。
コーヒーを飲んで落ち着こう。そう思い手を伸ばすが、指は宙を切るばかりで、カップに当たりもしない。
……一体俺の体に何が起きたんだ?
Mは本当に誰かを殺してきたのか?
それならどうしてこんなにも血の臭いがするんだ?
ただひたすらに重い脳で、思考を紡ごうとしても、噎せ返る程の臭いがそれを遮断する。
顔を上げる事すらままならない俺の耳元で、何一つ変わることのない穏やかなMの声が響いた。
「……ごめんな」
何故かその声を聞いた瞬間、全ての事がどうでもよく思えるようになってしまう。
いいじゃないか。どうせ俺は嘘を吐くのが得意なんだ。もし警察が追いかけてきて、ここに来たとしても、
俺なら嘘を突き続けられる自信がある。Mの手だって洗えば血は落ちるし、手袋は捨ててしまえばいい。
……そう、それでいいんだ。
「……いや」
Mの声に答えようと、必死で肺を動かして声を紡ぎだした俺の口から、



血の臭いが、ほんの少しだけ漂った。