誰も知らない



 彼女の部屋にはいつも洋楽が流れている。
 鈍い銀色のスピーカーから大音量で流れる音を聴いている彼女の耳はどこかおかしくなっている様で、
 グラスを落とした時、割れた音に気付かず、怪我をした事だってあるくらいだ。そんな彼女が何故、
 僕がドアを開ける音だけはどんな音に埋もれていても聞き分けられるのかが分からない。
 彼女に言わせれば「音」が全く違うらしいが、それならグラスが割れる音だって「違う」筈だ。
 ……まあ、彼女にしか分からない事もあるのだろう。ともかく、僕が来ると彼女は音楽のボリュームを下げ、
 一体どこに売っているのか分からない、名前すら知らない様な飲み物を僕に出してくれる。
 飲めない程のものに出逢った事は無いので別段気にしていないのだが、
 生活感の欠片すらない様な彼女がどこからそんな飲み物を集めてくるのかは、全くもって疑問だ。
 そして、そんな訳の分からないものを飲みながら、奇妙な遊びは始まる。

 女「あの丘の上の神父様に会いに行った事はある?」
 男「いや」
 女「あそこの神父様はね、人の願い事を聴かないのよ」
 男「願い事?」
 女「お願いをする人はね、黒い天窓に向かって願い事をするの。神父様が聴くのは、普通のお話だけなのよ」
 男「願い事と話はどう違うんだ?」
 女「私は知らないわ。決めるのは全て、神父様なのだから」


    *************


 神父「さあ、あなたの話を聴きましょう」
 少女「あたしにはパパとママがいます。パパとママはとても仲がよくて、あたしをとても大事にしてくれます。
     みんな、あたし達を理想の家族だと言います。でも違うんです! 
     パパとママはお互いを愛していて、そこから生まれたあたしを愛しているだけなんです。
     それ以外の人は、パパとママにとっては愚かな、どうしようもない人にしか過ぎないんです。
     でもあたしは他の人を好きになってしまったの! あたしの家の三つ隣に住む、あたしより一つ年上の、綺麗な黒髪の男の子を!
     あたし達家族以外の人を! ああ、神父様、あたしはどうすればいいのでしょう。
     きっとパパとママは許してくれません。それどころかあの人を殺してしまうかも知れない。
     でもあたしはあの人が好きなのです。一緒にいたいのです。ああ教えて下さい。あたしはどうすればいいのですか?」


    *************


 男「その子のお父さんとお母さんも元々は他人だったんだろう?」
 女「そうよ」
 男「でも、女の子の恋は許さないのか?」
 女「そう。とてもおかしい事だけど、彼らにとってはそれが当然の事なの」
 男「……僕には分からない」
 女「ええ、そうね。分からないわ。何もかも」

 丘の上の教会。鳴り響く鐘。人目を忍ぶ様にして口づけ交わす少年と少女。
 甘い時間の後に、彼らは子供じみたゲームを計画する。
 『自分達の幸福を阻む者の殺害ゲーム。』
 ……稚拙な発想に、彼らは花を咲かせる。
 だが、それが絵空事だと誰が言えるだろう?
 人の心など、分からぬこの世界の中で。

 リプレイ機能はもう二回程稼働している。
 スピーカーから聞こえる歪んだギター。何かに酷く似ている様で、それでも思い出せない音。
 男の低い歌声。何を言っているのか分からない言葉。
 少し疲れた顔で、女は笑う。笑顔は、嫌いじゃない。無表情よりかは幾分ましだ。ただでさえ、信じられるものが少ないこの世の中では。
 「ねぇ……」
 相変わらず、乾いた声で女は呟く。
 「私が死んだら、一緒にいてくれる?」


 「ああ、勿論だよ」







僕たちが空の色を覚えられるのは、一体いつの話だろう?