マティ・ローズに会いに行こう



ねえねえ、旅人さん。
マティ・ローズを知ってるかい?
水面
(みなも)に咲いた深紅の薔薇さ。
夕陽を浴びてきらきら光る
きれいなきれいな薔薇のことさ。

そんなものがあるのかって?
まあ僕も見たことはないんだけど。
でもこの街の人はみんな知ってるよ。
あのねむの木通りを越えた所にある海で。
真夏の、それもとびきり暑かった日の夕方に。
まるで水平線を覆うように。
深紅の薔薇が咲きほこるって。

どうしてマティ・ローズなのかって?
そんなの決まってるじゃないか。
その薔薇を作ったのが、マティなんだよ。
最初から水面に浮く薔薇なんてないからね。
彼女が一生懸命考えて、作った薔薇なんだ。

どうしてそんなものを作ったかって?
好きな人と一緒になるためさ。
好きな人に、そう言われたからさ。
『水面に咲く薔薇が君に作れたら、恋人になろう』って。

マティが好きになったのは、お金持ちのドラ息子。
見た目は良かったけど、実はとんでもない奴だ。
人をいつも見下してる、そんな奴だ。
でもマティは惚れちゃったんだ。
もちろん男はマティなんか見ちゃいない。
だから無理難題をふっかけた。
絶対に出来ないことを彼女に言った。

小細工なんていくらでもあったんだよ。
何しろそいつ、頭の方はすっからかんなんだ。
親の地位でお金持ちになっているだけのような奴なんだ。
だからいくらでも、騙すことなんでできたのに。
マティは真剣にそれを成し遂げようとした。
水面に本当に咲く、薔薇を作ろうと。

男は翌日にはマティのことなんて忘れていた。
そして同じお金持ちの、顔だけが綺麗な女と一緒にいた。
真っ赤な薔薇を花屋で買って。
それを女に渡してた。

海辺に一人、家を建てて。
マティはずっと研究してた。
水面に咲く薔薇のことを。

そうして時はずいぶんと経ち。
マティはついにそれが不可能だってことに気づいた。
その頃にはもう男はどこかの女と結婚していて。
親の残した財産で悠々と暮らしてた。

マティは悲しんだけど、それでも男を恨まなかった。
その代わりに研究に使ったたくさんの薔薇と一緒に。
真夏の海にそっと入っていった。
とびきり暑かった日の、夕方に。
その全身が覆い隠されるよりもっと深い所まで。
百を軽く越える薔薇の花と一緒に。
海の底まで歩いていった。

それからだよ。
こんな夏の暑い日の夕方に、見えるようになったんだ。
夕焼けとは全く違う色彩の紅が。
水平線を埋め尽くすように咲き誇るそれが。
深紅の薔薇だ。息を呑むほどに紅い薔薇だ。
マティのことを知っていた人は、口々に言った。

『あれはマティだ』
『マティの薔薇だ』

そうしていつの間にか、名前が付いた。
マティ・ローズ。
哀しい最期を遂げた、女の涙の権化。

そろそろ夕陽が空を染める頃だね。
見に行ってみたらどうだい?
ここからだったら歩いても数分だ。
本当にマティ・ローズが見られるか。
もし見られたら、僕に教えてくれないかな。
どんな風に、夕陽に照らされていたのかを。




   ──ああ、旅のお方。
   あの子の話につきあってくれてありがとうよ。
   あの子はあのお話が大好きでね。
   ここを訪れる旅人みんなにしてるんだ。
   なあに、ただのお伽噺だよ。
   でもあの海から見る夕焼けは絶景だ。
   一度見ておいても損はないよ。

   その夕焼けがマティ・ローズじゃないのかって?
   ああ、そうだねえ……。
   今からもう百年近く前のことだ。
   ここで大きな戦争が起きた。
   たくさんの人が死んだ。たくさんの人が殺された。
   たくさんの人が、たくさんの人を殺した。
   死にたくなくて逃げた人もいた。
   彼らは舟で、海を越えようとした。
   海の向こうにある国まで行こうと。
   だがそれは叶わなかった。
   別の舟で追いかけた奴らに皆殺しにされたんだ。

   水面が、染まったそうだよ。
   人間の流す血の色で。

   とびきり暑い夏の日の、夕方に。



   今から行けば綺麗な夕陽が見られるだろうね。

   行ってみるかい?

   マティ・ローズの咲く海へ







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